えす山の日記

自分用のゲームの感想日記とか

映画 アマデウスの感想

バナナフィッシュを見て少ししてからみ始めました.

前々から見たいと思っていたので正月休みのいまと思いまして...はっきり言って暇人の極みですね.

 

神から最上の才能を与えられたモーツァルト.その才能に対し,嫉妬に狂うサリエリ.そのことに気づけるサリエリも,もちろん天才なのは間違いありませんが卓越したものをみせられ,にっちもさっちもいかなくなってしまったんでしょう.サリエリの気持ちがわかると言いたいところですが,天才を見抜くことすらできない凡才の代表である私なんかにはきっと理解できないんでしょう.

そんな二人が,最後レクイエムをともに執筆した瞬間だけは理解し合えたのでしょう.悲しいかな,その時には二人の運命は定まり,モーツァルトは死に,サリエリは後年公開し続けることが確定してしまっているんですが.一度モーツァルトが眠る前に見せた,いつもの笑顔が印象に残っています.

天才モーツァルトですが,埋葬が共同墓地であることからも,周囲から無下にされ,お金もなかったことが見て取れます.

 

笑ってしまったところで言えば魔笛が完成したシーンですかね,まさか義母の金切り声をきっかけにするとは笑

 

全く関係のないセリフで一つ印象に残ったものが1つ.

中盤モーツァルトフィガロの結婚について詰問されるシーンで「高尚とはどういうことですか?」とモーツァルトは返答します.

私が初めて倫理学を真面目に(?)学んだ際,教授が「高尚な趣味と低俗な趣味がありますよね,そのうち高尚なものが質が高い」と確か質的な幸福論の際例として出された記憶があります.さらなる具体例が,高尚な趣味が小説やクラシックで,低俗な方がアニメや漫画とおっしゃっていました.もちろん比較してという意味で出されたのは理解していますが,いかなる文化においても,それが高尚であったり低俗であったりするものなのでしょうか?当時はもっと気になること(たしか経験機械の話)に気を取られ,その質問はしなかったのですが,今思えば,そんなものはないように思えます.もちろんそれら文化の中で,出来不出来はあるかもしれませんが,文化間での出来不出来はないでしょう.私は何かを学ぶのは様々な文化を楽しむためと思いますが,そのさまざまな文化に上下関係はないはずです.時代の関係で出現順序があるだけで,もし先に小説より先に漫画が出現していれば,逆の立場になったかもしれません.と話が乾燥からそれてしまいました.

 

最後に.どうもサリエリモーツァルトを死に追いやった(間接的にでも,例えばモーツァルトの父がしたコスプレ(?)をして,レクイエムの依頼をしたり)という事実はないようです.実際根も葉もない噂のためにサリエリは重度のうつ病になり,苦しんだんだとか.精神病院に入院したという事実もない様です.

映画自体はモーツァルトに対する,サリエリの天才ゆえの嫉妬を描いた名作と思います.ただしその内容を史実として,妄信したわけではないということは念のため明記しておきます.現代社会でもこのような心構えは大切だと思うので.

 

話がそれにそれていますが 以上