えす山の日記

自分用のゲームの感想日記とか

家族計画~追憶~の感想1

山田一コレクションみたいなのを購入していたのでプレイ。

 

ー共通ルートー

 

純粋な家族を求める3人(寛、真純、マツリ)とその他の目的から家族になる3人(準、春花、青葉)。そして家族というものを拒絶する司。その7人が一つ屋根の下で、一風変わった家族というものの大切さを知るという物語。

 

「人は一人でも生きていけるけど、それだと、生きていくことしかできないんだなって」この文に本作のすべてが詰まっている気がします。

 

家族計画は良作だと思います。ただ女の子の顎がなげえ。時代を感じます。

 

以前書いた、未来に希望を抱くべきかについての駄文があるので貼ります。一つのテーマなので。

 

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希望を持たないということ、持てないということ、持てないと思い込むことはどれほど悲しいことだろう。希望が叶いそうにないからと、叶わなかったとき傷つくことを恐れるあまり、ニヒリズムに陥る。それがどれほどもったいないことか。

望みや希望というのは、少なくとも叶いうるから、可能性があるから抱くものであり、それゆえに絶対に叶わないと考えるのは思い込みである。あるのは、叶う可能性が低い場合に、叶わないと思い込むことで、叶わなかったときに負う傷から自己保身するという場合のみである。しかし本当に希望すら抱けない状況にある人のことを考えると、希望を抱かないことでしか生きていけない状況にある人のことを思うと、希望を抱けないことがいかに悲しいことで、希望をあえて抱かないことがどれほどもったいないことかわかるであろう。

私も、他者に期待しないことこそが、心の平穏を保つ唯一の方法と思っているが、本当にそうなのであろうか。希望と期待とはまた少し違うかもしれない。ただ、やがてその考えが極端を行き、ニヒリズムに陥ってしまわないことを願うばかりであると同時に、気をつけたい。基本的に生きることは素晴らしいことだと思う。そして死ぬことは、生と真剣に向き合うために必要なことである。そして必ず訪れる死の際に、その生に満足していれば十分である。(人が努力する必要があるのは、その満足する可能性を少しでも増やすためと、人類と地球に貢献する以外にはない。前者は権利で、後者は義務である。)例え死の間際まで、生に絶望し続けていたとしても。これは人間というものが、現在に近いほど、そしてそれが不幸なほど、その事象を印象にもつという傾向にあることを考えれば一部納得がいく。自殺がいけないのは、死に向かうことで、死に向き合わず、生にも向き合わないからである。

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以下感想

 

ー青葉ルートー

なるほど。やっぱり一番対称的で、かつ共通点のあるこの二人はセットですか。ほかルートでも青葉はいるのかな?

ほかのみんなはともかく、春花が出て行って、まあおらんからしゃーないかとはならんでしょう。それこそマフィアにつかまって死あるのみですよね?うーんもやもや。寛の300万の借金を流したりこういうとこは苦手。

 

寛の「マツリは一番信頼できるところに預ける」からの高屋敷家っていうのはいきなりグッと来ましたね。

 

私自身がおじいちゃんっ子だったからか、青葉ルートは全体的に簡単に泣いてしまいました。唯一愛されていたと思っていたおじいちゃん。それすらも空想だった。そんなことが自分の身であったと思えば…想像することすらできないほどの悲しみを抱きました。結局は不器用ながらも愛していたのですが。涙ぼろぼろです。

まさか絵が下手だったことがこの伏線だったとは。

 

家族が再集結するシーンから、祖父の手紙。もうほんと涙が…

 

まだ一ルート目ですが、めっちゃ好き。田中ロミオ苦手だったけど、めっちゃ好きになりました。

 

それにしても、青葉の薬中設定はどこへ?司の火が怖い設定も残ってるので、どっかで回収されるのかな?でも青葉ルートで回収しない意味とは…

 

タイトルに一人ずつ増えていくのも良きですね。減っていくのも多いですけど、増えるほうが好き。

 

ーBadルートー

うーん特になし。景ちゃん好きだからもっと見たかった。

 

続く