えす山の日記

自分用のゲームの感想日記とか

ヒラヒラヒヒルの感想

 

良作。いやかなり好こ。始まった当初はゲームにする意味もないと思っていたけれど、分岐もしっかりしててノベルゲームとして生きている。ストーリーだけなら個人的には指折りに好き(ストーリーゲーなのでそれはこの作品が指折り好きということなんですが)。6~8時間?推しは朝ちゃん!自らの弱さを受け入れる強さに惚れた。

やった順番はBAD→TRUE。2人の物語なので4通りありますが、両方BAD→TRUEでした。

一番は読みにくさですね。ノベルゲームというよりは小説形式なので出すなら出す、一気に出さないなら位置を固定するなどして欲しかった。また背景に隠れて見にくい。せめて濃さの調整はしたかった。まあしばらくしたら慣れますけど。慣れるまで頑張ってほしい。

死者が蘇る病、風爛症、いわゆるヒヒル。これはあくまで病である。まるでゾンビかのように彷徨う彼らは迫害の対象であった。

 

以下ネタバレ満載ですが。。。

 

これほどまでにはっきりと差別を取り扱うゲーム作品というのは(もちろん映画や小説においてもですが)貴重だと思いました。題材はといえば、軽く言えば定期的に訪れるせん妄状態、はっきりいえば認知症統合失調症。つまり寿命が年々長くなる現代の我々が直面している介護問題や未だに残る精神疾患への偏見というというものを、外見まで崩れ落ちてしまうという極端な症状を追加して表現した作品なのだと思います(もちろん大正当時は風貌が崩れ行く病というものもあったのですが、どうしても現代と対応させて考えてしまいます。)。現代人が向き合う必要のある諸問題を大正時代という過去を舞台に巧みに描いた作品が今作なのだと思います。

作中ではいくつかその改善のために提言を行っているでしょう(というよりそれらを伝えるために風爛症という設定をしたというのが正しいかも)。

いくつかピックアップしますとまず、知らないから怖い、ということ。千種編では著名人である朝が顔貌を世間に公表すること、そして辻菊が風爛症患者たちと関わる中でだんだんと慣れていくこと(特に後者は両親を殺された住職のエピソードがわかりやすい)に代表されます。これは結構普遍的なことですが、知ることは怖くもありますから本当にその大切さが伝わってくるような描写がされており大好きです。病院へ検査しにいくのは怖いけど、結構に生きるためには自信の身体のことを知らなければならないように。ただし。ただし、知ろうとしても知り尽くすことはできないのです。千種が自身がヒヒルになって初めて多くのことを理解したように。だからこそそれを認めなければならない。認めたうえで知ろうと藻掻かねばならない。こういったことは他にも随所に散りばめられており、印象深いところで言えば、鶴子を義父母に会わせたところなど。会わせるまで義父母の考えなど知りませんしね。

次はそれに誰もがなり得るということ。これは特に日本人ならば知っておかなくてはならないことでしょう。国民皆保険制度の意義的にも(最近は高齢者負担を増やせなどの意見も増えてきましたが、これを聞くたびに日本は貧しい国になったのだなと思います。まあ少子化などもあるので一概には言えませんが)。これは両ルートで、千種編では正、本人が、天間編では愛する明子がヒヒルになってしまうことで示されているでしょう。いつだれが辛い立場になってしまうかもわからない。そうなってから動いては遅いこともある。かつてヒヒルを殺したという過去はどうしようもない。だから前もって知って行動しなければならない。

なぜ偏見が起こり得るのか。もちろん人は誰かを見下したい生き物、他種を排除したい生き物だから、といってしまえば単純です。しかしわざわざ本作では天間の故郷で「ひひるさん」と言われ慕われていた人を登場させているんです。田舎だろうとそういった見下したい気持ち、排除したい気持ちはあるでしょう。だからそういう意味以外の偏見です。これは人と人の距離が遠いというのが主原因だと思います。千種は生まれつき母がヒヒルだったためにそういった偏見が珍しくない都会人。田舎だとそもそも距離が近く、相手のことを知っているから問題ない天間。一方でヒヒルに会ったことのないために偏見がやはり残るが、それでも都会人よりかは少ない辰子。偏見の残る鎮劉。

最後に選択肢はたくさんあるということ。都会の中で生きていくことを決めた朝と正。田舎で暮らすことを決めた明子と天間。この二人同士は似た苦悩に直面した全く対照的な二人同士なのでしょう。

結局のところ知ろうとしないから、知ろうとしろ、っていう風なメッセージが一番私の中に残りました。知らないものは怖くて当たり前です。子供のころは幽霊が怖かった。でも勉強するにつれて怖くなくなった。せん妄だって知ってても実際に「そこにいる黒づくめの人を帰してくれ」って言われたらちょっぴり怖いですもん。だから人は「より良く」生きるために、あらゆることを学び続けなければならない。

言ってしまえば当たり前のことです。しかしそれを実際意識して、実践できている方はどれほどいらっしゃるでしょう。

もちろん他にもいっぱいありますが、夜も遅いですしこれくらいで終わります。

 

=だらだらと=

=天馬=

仮にまったく死者と変わらない人間がいたらそれは人間かという問いは面白い。作中では衣川。彼からするとむしろ生かしておく方が不道徳だと。理解できなくもない。死んだ方がむしろ楽かもしれないと言える状態があるというのはわかる。作中で衣川には特別な理由があったんですが、それはさておき、実際植物状態(脳死認知症)になってしまったらどうすると考えればかなり現実的ですから、これは難しいし価値ある問いでしょう。どちらも(症状が進行すれば)判断力が欠如している。生死というものは本人のみ選ぶ権利があると言ってもその判断すらできない、難しい。衣川本人も差別感情から殺したいというものでもないというのがまた難しい。恋した相手に頼まれたことをしようとしているだけなのですから。この状況では少なくとも私は約束を履行しますかねえ(そしてそのあとは自分で命を絶つかもしれない)。愛した人の願いならですけど。そして例え愛した人でもそういう契約がないのであれば殺しません。意思がない、感情がないと言うのは証明できませんし。それ以外でも殺さないですかね。人を殺すというのはたとえどのような理由があれど、獣になってしまう気がして。そしてなにが正しいかは今まで考えてきても未だに、おそらく永遠に結論がでないでしょう。

そしてこちらもおもしろいのは千種編が面白くなった直後。いやーこちらの天馬編はほとんど日常に風爛病が出てこない中、急に想い人が罹患してその高低差が急なためにドキドキしてよき。衣川の「親しい人にいたんですよ、ひひるが」が染みる。絶対殺してしまったのBADだよなあ。。。確かにひひる前後で違う人物と見做すなら別人なわけだし。。。でも惣一のような例もあるし。。。認知症前後でそれは同じ人物かと言われればそうと言えるのは、連続的変化だからだろうか。

とりあえずはBADに進む。明子を見捨て、常見の家から出る選択。

ーBAD1ー

苦しみを忘れる過程がリアルですねえ。補遺がつれー。千種のしようとしていることが本当に惣一のいうようなことに感じてしまう。

結局天馬は「あの瞬間、明子さんは正気に戻ったはず」と言っているけど、それも決めつけだからなんにも変わってないのよね。

ーBAD2ー

衣川と共に殺して、常見家に残る。

このルートだと千種の病院にはやってこないんだね。あの看護婦が虐待してたってことだし、GOODなのか?でも殺してるしな、ひひる。

意識して笑おうとするのに口だけ笑っている明子の父の絵、見事。

結局、ひひるは元の人ではないと病院へ入れてしまうのか。まあひひるを殺したルートだしね。いやさっきBAD1以上に辛いかもしれない。実の父に首を絞められる娘。なんと哀しいことか。天馬に殺される明子。なんと哀しいか。やっぱり殺人を一度犯すと、その選択肢がずっと頭をよぎるから駄目だね。逆に一度できたことは二度目もできるということで、これは日常生活でも意識するようにしたい。

なにより!なにより、ひひるは殺しても罪にならないということが辛い。ひひるはあくまで人ではないということを、針で刺されるかのようにチクチク執拗に突き付けられている感じがする。気持ちが悪い、赦せない気持ち。裁かれない方が辛い。裁かれないならば、死を持って償うしかない。最愛の人を殺めるというのはそれでも足りないほど重い罪なのですから。

結局のところ、中途半端に関わるくらいなら関わらない方がましってのが真実なのかもしれない。何かを決断するときは添い遂げる覚悟で。

実はこのEND結構好き。

ーGOODー

なるほど、ヒヒルは蛾、蚕のことなのか。なんで千種ルートで蛾が飛び出たのかと思えば。

この展開はこの展開で、衣川の美代への愛が伝わってきて最高。そこで加鳥先生が登場。さすがGOODやで~~。衣川はこんな右往左往して治療を遅らせただけの自分を責めているけど、でもその時間のおかげで加鳥先生に会えて病院を紹介してもらえたんだから、その時間は無駄じゃなかったんだよ。。。なくじゃん、別れの際のお礼は。

ようやく天馬と千種の邂逅だ!いや正確には前には病院に入った明子に、天馬が会いに来たけど。明子父が自殺するという未来が変わらないのは辛いね。明子への遺書がないのも。

正気に戻った明子と天馬が青森に行く日の朝、辰子と全く同じ表情で泣いていた。

こういう結末を見ると、昔子育てをコミュニティでしていたように、介護というものをコミュニティでする時代というのが来るかもしれない、と思う。。。いや来ないか。あまりにも豊かになった後に、貧しくなり過ぎた。

衣川、そりゃむせび泣くよなあ。自分が夢みた、けれど叶えられなかったひひるとの婚姻を、親友が目の前で見せてくれたんだから。嬉しいもん。私もむせび泣いたもの。以上を見ればBADでの天馬の判断はあっていたのだろう。

=千種=

実際精神病や他の病がうつらないはずなのに、伝染病のように扱われ、迫害されていた時代はあります。そしてそこに差別があるということは必ず差別と闘う人たちがいます。

千種編で天馬編に出てきた登場人物、野村朝(夜)と邂逅するあたりからは本当に面白い。そうか、同じ苗字だとは思っていたけど、やはり兄妹で風爛病だったのか。いつか自分が悪くなって、って言葉は辛いものがあるよね。

ちゃんと母親の話もただの過去話で終わらせないのはいいよなあ。この作品好きだ。妄想の中でも息子を気遣う母の愛に涙。

こちらもBADのつもりで、この地に母を残していくことに。

ーBADー

おお!ちゃんと明子もいる。

自分を病人だと理解したり、理解しなかったり、そのはざまが曖昧なのは変なリアルさを感じる。リアルを知らないけど。

タムラ看護師、マツキ看護師の良さを、今まで感じていた悪さの裏返しで出すのいいね。患者になって初めてわかること。千種ルート大好きになってきた。

そして医師に復帰した千種が明子を担当するのか。。。ということは、明子の発症はGOODでも共通?というかこれGOODひいた?

えええ。。。明子の父が自殺。。。これは。。。天馬でBADを選んだから・・・?しかも、自殺から少ししたら治る兆しが見えるなんて…盲なんて言えばいいか。もう会えないのに、父に会いたいなんて。ごめん!天馬を遠ざけたのは、ひひるを殺させたのは私なんだ。。。ごめん。本当にごめん。

野村惣一の朝を想って、自らの顔を傷つけるシーン、ばちくそ泣いた。その直後に朝が急変し、治るはずなのに不運にも悪化するなんて。BADだったわ。

ーGOODー

たった数週間で母が死ぬと言う運命は変わらなかったけれど、これは大切な5日間でした。二人が一緒に観光してるところなんてめちゃくちゃ泣いたよ。義母がさ、長兄の、父の次の上座に座らせるように促したのももう涙腺に。。。正を産んだ人なのだからと。なんてすばらしい人間なんだ。正妻とか妾とか、そういうのは大嫌いだけど、実母が父の前ではじめて自主的にご飯を食べたってのも。ここにきて泣かせにきすぎ!!ああ、お互い本当に愛していたんだなってのがシミジミ伝わってくる。そして周りを気にするあまり、あえて話せないふりをしていた実母のやさしさ。時間を「美しい」って表現するのも最高かあ。。。

そして母の死のせいで朝が不調になったかもということで、朝が救われる。;;やったよ;;

正がひひるになったあと、義父母と3人で話すシーン。あなたはそうと思っていなくても、私たちはあなたのことを家族だと思っていると言う言葉。鼻水出しながら泣いた。それで二回目だけど、朝と惣一のやり取りを見てまた泣いた。

最後の最後に辛いものを見せられたね。いや作品として必要なのだろうけど。